負ケラレマセン勝ツマデハ



11年遅れでも良いかもしれない~今は「自国の至高の利益を危うくしている異常な事態」ではないのか?~

 安倍首相は「わが国の“NPT”加盟の前提が崩壊しつつある」と声明すべきである。モノホンかフェイクか分からぬ段階ですが、分かったあとで考え始めても遅いことがあります。それは日本の国家リーダー、つまり安倍総理「極東における日本のNPT加盟の現状に対する疑義」の声明です。
~中略~
 このタイミングでのみNPTの枷は外れるのです。ここで逡巡すると、半島は核武装し、日本は丸腰という未来が待っています。いったん得られた核の知識は、朝鮮人の脳の中に残り続けるのです。首相は「疑義」を声明するだけで良いのです。脱退するとまで言う必要は、今はない。


 この文章は先の北朝鮮の「水爆実験」を受けての提言ではない、今から11年前の初の「核実験」直後に軍学者の兵頭二十八師が公開したblogからの抜粋である。改めてその慧眼に恐れ入ってしまう。
 あれから11年、事態はどうなったのか? どう考えても良くなってはいない、日本の置かれている状況は、核不拡散条約(NPT)第十条1に定義された「自国の至高の利益を危うくしている異常な事態」により近づいてはいまいか? 各締約国は異常な事態を認めた時に、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。日本が自ら異常な事態が有りうること、及びその事態が惹起することの懸念を、11年遅れでも良いから、世界に向けてアピールすべきではないか?
 また、そろそろ大多数の日本人も気づいたのではないか? 核武装しようとしている「ならず者国家」に対しては、こちらも核武装するか、それ以外の方法で体制転覆を狙う以外に安寧の日々を取り戻せる方法は無いということを。ある意味、今後の日本をどうすべきかを一人一人がよく考える機会になってほしいものだ。

*兵頭二十八「放送形式」より
■首相は「わが国の“NPT”加盟の前提が崩壊しつつある」と声明すべきである
■政治はタイミングがすべて。ここで「ポストNPT」声明できないなら…
■安倍は終わった! 憂国議員よ、解散&総選挙に向け、団結せよ!
■NPT解散&総選挙の争点
■チラ裏日誌
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# by ferreira_c | 2017-09-04 22:12 | | Trackback | Comments(0)

やはり漁協は強かった~今こそ核融合研究のトリチウム屋は声を挙げるべきである~

 ずっと溜まり続けている福島第一原子力発電所のトリチウム汚染水であるが、つくづく己の考えの甘さを痛感させられた。この記事を書いて約四年*1、当時から原子力規制委員長も「トリチウムは基準濃度以下に薄めて海洋放出するしかないのでは?」と主張していた*2。しかし、何も変わらなかった。やはり、漁協は強かったと言うのが正直な感想である。業界では漁協を敵に回すと何かと面倒であるという話は結構聞く。
 先日、東京電力の会長がトリチウム汚染水と廃炉にするとは言ってない2Fの扱いについて、早急に結論を出すと言ったが、直ぐに福島選出の復興大臣が
「トリチウム水を基準以下の濃度で放出すべきだという科学者の意見もあることを承知しているが、風評被害が必ず発生する。漁業者に新たな不安をつくらないでほしい」
と発言したので*3、まだまだ解決しないだろう。しかし、合法的かつ科学的にも安全のお墨付きが出ていることを、復興大臣が情緒的な発言で打ち消そうとするのはいかがなものだろうか? 政治家は有権者の不安を汲み取った上で、現実との折り合いをつけるべく調整せねばならないはずだ。最初から情緒に流れるのであれば政治家はいらない。ただ、福島選出の議員だと、ここで共感を示さなければ次の選挙も危うくなるかもしれない。これも前の復興大臣の舌禍によって福島選出の議員を当てざるを得なかった余波であろう。
 そうこうしてるうちに溜まったトリチウム汚染水は約78万トン。これはリスク以外何物でもないだろう。これから解決策が決まると言っても、それがセメント固化して保管等という馬鹿げた話にはならないよう希望する。また、四年前にも述べたが、今こそ核融合のトリチウム屋は声を挙げるべきであろう、「薄めて海洋放出するのが一番妥当である」ということを。そうでないと、トリチウムに関わる安全性の問題全てが、将来の核融合発電炉実現化への大きな障害になってしまうかもしれない。ただ、核融合に携わってる者が、核融合発電炉実現化は不可能と確信しているならば、特に言挙げする必要もない。即刻巨額な研究費を返上すれば済むことである。お金が必要な先端分野は日本国内で山のようにあるはずだから。

*1 http://ferreira.exblog.jp/21048106/
*2 http://m.huffpost.com/jp/entry/3857352
*3 http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201707/20170715_61016.html

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# by ferreira_c | 2017-07-15 14:34 | 原子力 | Trackback | Comments(0)

橋本清之助、またの名を陰の原子力委員長~(2)ストの陰にこの男在り~

 日本原子力研究所(原研)名物の労働組合(労組)が打つストライキは、原研創立3周年記念式典(1959年6月15日)をボイコットした流れから、二日後の6月17日に初めて実施された*1。
 しかし、全貌によれば1957年秋には幻の第一回ストライキが計画されていたらしい*2。しかも日本初の原子炉JRR-1の火入れ式当日に当てようとしていた(実際の初臨界日は8月27日)。大野善久事件の陰の主役であった今泉理事と嵯峨根遼吉理事との対立が、中島篤之助率いる原研労組につけ込まれ、安川理事長が日本原子力発電に移る時期を狙って労組のストが設定された。その収拾ということで日本原子力産業会議(原産)の橋本清之助*3がお膳立てをして、安川、中島のトップ会談が行われ、今泉追放が決められたという(実際は理事から監事に転任)。結局、理事間の反目抗争が、反共に徹した今泉理事追い出しの共産党の謀略に乗ぜられたものだという。ここで今泉理事との抗争に勝利した形に見えた嵯峨根理事(後に副理事長)も、先に述べた創立3周年記念式典から連なるストライキの責任を取って辞任することとなるのだが、このときには嵯峨根副理事長と対立していた久布白理事と菅田監事室長(後に理事)と結んだ共産党(原研労組?)の暗躍に寄るところが大であり、この演出を陰で操っていたのも原産の橋本清之助らしい。また、久布白理事と菅田理事も、後の菊池正士理事長退任時には詰め腹を切らされる事になる。ただし、この時は橋本清之助が科学技術庁原子力局長島村武久と組んで、理事長退任阻止に動いたが、結局押し切られる形となった*4-10。
 全貌を読む限り、原研労使問題とはだらしない幹部の鼻っ柱を労組が引きずり回すという印象がある。これもあちこちの役所等からの天下り人事が問題だったのであろうか? 全貌と原研労組の著作と国会議事録を読み込むだけでも、赤い原研に関する新たな考察が産み出せるとは思うのだが、なかなか時間は作れそうにない。
 それにつけてもあちこちで橋本清之助は出てくるな。この人なりに原子力の発展を願って行った行為と思うが、果たしてその決断は適切だったのだろうか? 中島篤之助との特別な関係は、目を曇らせることも多々あったのではないか*11?

*1 何故、原子力の研究機関は統廃合されたか? (2)不吉な前兆
http://ferreira.exblog.jp/15030010/
*2 全貌、全貌社、昭和41年11月号、8ページ、1966年
*3 橋本清之助、またの名を陰の原子力委員長~(1)ジイサンと呼ばれた男~
http://ferreira.exblog.jp/22843917/
*4 何故、原子力の研究機関は統廃合されたか? (番外編)原子力の日に想う
http://ferreira.exblog.jp/21365673
*5 何故、原子力の研究機関は統廃合されたのか?(3)赤い原研(その1)~菊池理事長の空白の3時間と宙ぶらりんの3ヶ月余~
http://ferreira.exblog.jp/25665284
*6 何故、原子力の研究機関は統廃合されたのか?(3)赤い原研(その2)~昔、全貌という雑誌があった~
http://ferreira.exblog.jp/25672377
*7 何故、原子力の研究機関は統廃合されたのか? (3)赤い原研(その3)~辞める理事は何人? 2人? 全員? それとも4人?~http://ferreira.exblog.jp/25681679/
*8 何故、原子力の研究機関は統廃合されたか? (3)赤い原研(その4)島村武久の回想
http://ferreira.exblog.jp/25785157/
*9 何故、原子力の研究機関は統廃合されたか? (3)赤い原研(番外編)佐藤栄作と島村武久の344日戦争
http://ferreira.exblog.jp/25730305/
*10 何故、原子力の研究機関は統廃合されたか? (3)赤い原研(番外編)島村武久と橋本清之助
http://ferreira.exblog.jp/25739310/
*11 国管アレルギー他(1) 森一久オーラルヒストリーより
http://ferreira.exblog.jp/25893533/

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# by ferreira_c | 2017-06-25 18:09 | 原子力 | Trackback | Comments(0)

君知るや大野善久事件~赤い原研事件簿~

 日本原子力研究所(原研)における労使問題を語るのであれば、大野善久事件からは避けて通れないと言っても過言ではなかろう。
 大野善久は、日立製作所の中央研究所から一年の任期で原研に出向していた。任期が終わり、1957年3月7日付けで帰社したところ、人事部から3月いっぱいで解雇すると申し渡された*1。今、手元に資料が無いのでここでは書けないが、およそ解雇されるほどの規定違反ではなかった覚えがある。
 そもそも、組合活動に熱心であった大野を快く思ってなかった日立人事部が、厄介払いの意味も込めて原研に出向させ、その後、当時原研の総務理事であった今泉兼寛*2と示し合わせた上で、帰社するタイミングで馘首に踏み切ったようである。
 このアクションに対して、原研職員の労働組合(原研労組、当時の委員長は中島篤之助)は東大原子核研究所教授山口省太郎(共産党員)らを中心とした素粒子グループを動員し、日本学術会議に働きかけ、原子力委員の有沢広己、藤岡由夫らを動かし、労組ベースで揉みに揉み、4月15日には原研参与会のメンバーであった朝永振一郎、山崎文男、伏見康治、菊池正士らから、解雇した日立を訴えたり、日立への復帰ではなく、原研復帰の申し入れをさせ、さらに社会党代議士志村から今泉理事に圧力をかけさせ、その上で学術会議核物理特別委員会より調停の斡旋を原子力委員会に申し入れさせたりした。その結果、4月30日に安川第五郎理事長は組合三役に対し、
「大野研究員は冷却期間を置いて必ず復帰できる」
と約束するところまで追い詰めた。
 如何に優秀な研究員だったとしても、人事部マターで「勿体無い人材だからわが社で採る」くらいのはずが、組織のトップと労組が約束するのである。これをきっかけに原研労使は仁義なき下剋上状態に突入したとは言い過ぎになるだろうか?
 その後、10月に今泉理事は監事に転任させられた。通常の原研人事だと監事から理事への転任するケースが多いことを考えると、ある種の降格人事であったのではないか? その後、今泉は1958年6月に退職することとなり、入れ替わるように1958年10月に大野は原研に復帰した。その間、今泉理事は全く孤立無援で為すすべもなかった。駒形副理事長は逃げ回り、安川理事長は半ば調停者の如く振舞い、自分は良い子になって罪を全て今泉理事一人に帰せしめ、原子力委員、科学技術庁原子力局、原研他理事達は、ある者は拱手傍観し、ある者は今泉引き落としに一役も二役も買ったと言うことである。今泉理事の監事転任へのきっかけは、また別項で記す予定である。
 さて、ここまで雑誌全貌に載っていた記事をまとめた。ただ、当時は労組の側から
「全貌の労組攻撃記事はデタラメばかり」
と言われていた。確かに大野氏が共産党員と書かれているが、ネットなどで調べても、そもそも大野善久で引っ掛かってくる記事が少ない。せいぜい原研時代の報告書が中心となっている。そんな中で、元同僚の手記にその後の大野氏の様子が記述されていたので、公平を期すために抜粋引用しておく*3、4。
 原研に在籍していた岡本浩一(1929-2016)は、第一回原子力留学生として、ノルウェーJENERに居たときの1956年11月に勃発したハンガリー動乱に大きなショックを受けた。社会主義に対するある種の信頼感は完全喪失。ショックは帰国後も尾を引き、副主任研究員に昇格した数日後に原研労組に脱会届を提出。理由は、組合活動家が社会主義国ソ連に対する憧れを持っていることと、全員で「オゥー」という掛け声をあげる画一さに精神的苦痛を感じていたから。しかし、この行動が当時純粋な気持ちで組合活動に情熱を燃やしていたグループリーダー大野善久氏の不興を買ったのは事実で申し訳ないと思っていた。
 岡本は程無くして大野の元を離れるのだが、それは1970年頃と推定された*4。と言うことは、大野は少なくとも10年以上は組合活動に身を捧げていたことは間違いないであろう。つまり、共産党員という証拠はなかったが、少なからず共産党に対するシンパシーを抱いていたのである。

*1 全貌、全貌社、昭和42年10月号、982ページ、1967年
*2 猪瀬直樹が明らかにした総力戦研究所模擬内閣大蔵大臣を務めた人物と思われる。
[url] https://ja.m.wikipedia.org/wiki/総力戦研究所
猪瀬直樹 『昭和16年夏の敗戦 - 総力戦研究所“模擬内閣”の日米戦必敗の予測』中公文庫 2010年
*3 核データニュース No.74 2003年2月
[url] http://wwwndc.jaea.go.jp/JNDC/ND-news/pdf74/No74-01.pdf
*4 核データニュース No.115 2016年
[url] http://wwwndc.jaea.go.jp/JNDC/ND-news/pdf115/No115-02.pdf
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# by ferreira_c | 2017-06-24 19:16 | 原子力 | Trackback | Comments(0)

核武装準備庁?

 逆風吹きすさぶ原子力業界であるが、経済学者の池田信夫は原子力全般に対して、是々非々のフェアーな論説を積極的に発表している印象がある。その池田が「日本の原子力開発には核兵器がからんでいたのでは?」と質問すると、原子力推進派さえも血相を変えて怒ったらしい。曰く「最初から100%平和利用であり、核兵器への転用なんか考えたこともない」と。
 しかし池田も指摘するように客観的にみて原発はプルトニウム製造装置である。正力松太郎が東海村に導入したコールダーホール炉は、イギリスのマグノックス炉を原型にして実用化されたガス冷却型発電原子炉であった。マグノックス炉は、余剰反応度が元々小さい為、燃料を効率よく燃焼させることが難しく、安定して運転を行うためには頻繁に燃料を交換する必要があり、東海発電所では、一日に20本から30本の燃料棒を交換していたという。これならば、天然ウランを核兵器クラスの239Puに変換させてから取り出すことも可能だっただろう。現に、1967年から安全保障調査会によって刊行された『日本の安全保障―1970年への展望』では東海村のコールダーホール炉の使用済み核燃料からプルトニウムを抽出し、核武装した場合の分析を行っている。
 だいたい、日本原子力研究所、動力炉・核燃料開発事業団、日本原子力船開発事業団、宇宙開発事業団、おまけに海洋科学技術センターを統括した科学技術庁は、外国から見たら「核武装準備庁」としか映らなかったのではないだろうか?
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# by ferreira_c | 2017-06-04 09:26 | | Trackback | Comments(0)

原子力ルネッサンス、あるいは原子力学科出たやつみんな来い

 東芝の苦境を聞くたびに、原子力ルネッサンスと呼ばれていた時期を思い出す。
 今となっては真偽のほどは定かではないが、海外での原発建設受注を見越した某大会社が「原子力学科出た人ならすぐにでも中途採用する」という話がまことしやかに流れていた。あと、東芝が原子力関連の仕事経験者を、積極的に中途採用していたという話も聞いたことがある。
 まあ、そうした業界内の一部の空気は、少なくとも日本においては311で雲散霧消したが。


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# by ferreira_c | 2017-01-28 15:59 | つぶやき | Trackback | Comments(0)

もんじゅ投了

 最初に断っておかねばならないが、原子力発電事業を担っている電力会社は、夢の原子炉とも呼ばれる高速増殖炉については乗り気ではない。あくまでもお付き合いという感じが相応しい。それを念頭にもんじゅについて記しておく。これまでにいろんな本で電力会社の洞が峠を決め込む姿勢は記述されているので、いつか改めて紹介したい。
 今から3年前の12月8日に*1、
"今日は大東亜戦争(アジア太平洋戦争)の開戦記念日であり、アメリカ時間でジョン・レノンが撃たれた日であり、高速増殖炉もんじゅがナトリウム漏れ事故を起こした日である。もんじゅ倒れて18年、その間JCOによる臨界事故もあったが、何と言っても福島が全てを変えた"
と書いた。先日、もんじゅの廃炉が正式に決まった。前にも書いたが、もんじゅの長き不在について、電力会社や旧科学技術庁(科技庁)の天下りによって占められていた旧動力炉・核燃料開発事業団(動燃)幹部や旧科技庁幹部や政治家達のそれぞれの「あんな、ややこしいものは俺の目の黒いうち(在任中)には稼働させない」というような不作為の集合が為したものと推察した。まずは、動燃の理事長人事と出来事を簡単に並べてみたい*2。

歴代理事長と主な出来事

1967年10月2日-1972年9月12日 井上五郎(中部電力)
1967年10月2日 動燃の設立
1972年9月13日-1977年11月21日 清成迪(日立製作所)
1977年11月21日-1983年10月1日 瀬川正男(通産省)
1983年10月2日-1986年3月3日 吉田登(関西電力)
1986年3月4日-1989年6月30日 林政義(中部電力)
1989年7月1日-1994年6月30日 石渡鷹雄(科学技術庁)
1994年4月5日 もんじゅの原子炉が初臨界達成。
1994年7月1日-1996年5月24日 大石博(関西電力)
1995年12月8日 もんじゅでナトリウム漏洩事故発生。
1996年5月24日-1998年9月30日 近藤俊幸(東京電力)
1997年3月11日 東海事業所再処理施設アスファルト固化処理施設で火災爆発事故。

1998年10月1日 核燃料サイクル開発機構に改組
1998年10月1日-2003年12月31日 都甲泰正(東大、原子力安全委員会理事長)
2004年1月1日→2005年9月30日 殿塚猷一(中部電力)

2005年10月1日 日本原子力研究所と統合して、日本原子力研究開発機構に改組
2005年10月1日→2006年12月31日、殿塚猷一(中部電力)
2010年5月8日 出力0.03%で核分裂反応が一定になる臨界に達する。
2010年8月26日、炉内中継装置落下事故で再び運転停止。

 日本原子力研究所との統合については、省庁統廃合に合わせて議論が進められ、2001年12月19日の閣議において、原子力二法人の統合が決定された。もんじゅ事故後の再稼働計画がどういう経緯を辿ったかは知らないのだが、こうして年表を作ってみると、続いて起こったアスファルト施設での火災爆発事故対策や、統合に関する原研との折衝にエネルギーを割かれてしまい、もんじゅの再稼働はおざなりになってしまったのかもしれない。現に、2005年2月にようやく、福井県知事から改造工事を了承され、2010年5月6日 停止後から延べ14年5か月ぶりに運転を再開したほどである。天下り役員や役人の不作為もさることながら、現場の職員にも「自分達はナショナルプロジェクトだから(予算は大丈夫)」という甘えもあったのかもしれない。
 しかし、もんじゅがろくろく成果もあげないまま廃炉にするのは惜しいことだ。あの原子力船むつでさえ、試験航海でデータを取ってから廃船にしたのだ。今さら大洗の常陽でデータを取ると言っても、果たしてどれ程の成果があがるが甚だ疑問である。
 もんじゅに相応しい言葉として斎藤緑雨の言葉を添えておく。

非を遂げよ、希はくは非を遂げよ、
非は必ず遂ぐ可きものなり。
成功は非を遂ぐるに由りて來り、
失敗は半途に非を悔ゐ、非を悟り、
非を悛め、能く遂げざるに由りて來る。


*1 もんじゅ倒れて18年
*2 動力炉・核燃料開発事業団
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# by ferreira_c | 2016-12-31 16:54 | 原子力 | Trackback | Comments(0)

電力会社への抗議も良いが、大使館には抗議しないの?

 反原発派の人たちで直接行動を起こすならば、電力会社や原発サイト、もしくは経済産業省へのデモ行進となるのだろう。しかし、リスクの高い原発という意味では、日本の原発なのだろうか? もしも私が反原発派であれば、原発大増設計画を有する中華人民共和国(中共)の大使館か領事館への抗議行動を第一に考える。
 中共は原発の建設だけでなく、原子力の新規技術開発に熱心であり、日本の大洗にある高温ガス炉(HTTR)と呼ばれるタイプの安全性が高い炉への開発も積極的に取り組んでいる。311で停滞している日本の研究を脅かす日が近いかもしれない。また、将来的な原発の輸出に備えて、世界各国と二国間原子力協定を結んでいる。IAEAにお墨付きをもらった中共独自の原子炉「華龍1号」もある。
 それなのに何故建設を反対するかと言えば、儒教圏独特の組織の調達部門の腐敗にある。中共といえば、宇宙ステーションを運用するくらいの技術力を有しているので、完成直後の原子炉の安全性は十分に高いであろう。問題は定期点検の度に交換される重要部品の品質である。基本的に原子力級の部品は、高線量の放射線に曝されたり、地震災害等で破壊されないように、総じて高価格である。それを調達部門の担当者が私腹を肥やすために、二級品、三級品を購入して差額を懐に入れるというシチュエーションを想像することから逃れられないでいる。
 加えて、河川の水量の枯渇が叫ばれている内陸部でも、軽水炉を増設する計画である。果たして、冷却水の確保が困難になることはないのであろうか?
 あと、大増設による運転員の確保は大丈夫なのだろうか? 単なる頭数であれば揃えられるだろうが、危機に対処しうる組織作りのためには、一定数の熟練作業員の確保が必要である。中共がその準備をしているとは考えにくい。
 と、いろいろ考え始めたらキリがないが、とにかく彼の国には安全に運用していただきたいものである。

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# by ferreira_c | 2016-12-19 03:18 | 原子力 | Trackback | Comments(0)

もしこの人でなかったら2~久布白兼致(3)JRR-3、JPDR、JMTR~

 さて、久布白兼致(くぶしろかねよし)*1は、他にも2号炉(CP-5、JRR-2)*2、3号炉(国産1号炉、JRR-3)*3、動力試験炉(JPDR)*4,5、及び材料試験炉(JMTR)を担当した。JRR-2については、土光とのエピソードもあるため、別途紹介する。
(1)JRR-3
 JRR-3は別名国一炉とも呼ばれた国産第一号の原子炉であり、産業界からの希望で大手電機5社(日立、三菱、東芝、富士、明電、但し黒鉛は昭和電工担当)で分担することが決まっていた。その分、設計担当の研究者たちの思い入れも深かったことから、例によって予算上で大変なこととなった。
 早い段階で大枠の予算が決まっていたにも関わらず、技術的な詰めの段階でどういうことをこの炉で勉強するかが議論となり、研究者の癖として、予算に関係なくあれもやりたい、これもやりたいとの希望が追加されて、当初予算の1.5倍となってしまった。さすがにJRR-1の建物だけとは予算規模が違いすぎるので、理事会が招集されたが、何度開いてもよい結論が出なかったと言う。業者へ値引き交渉するか、政府に増資交渉するかの二者択一しかないのに、誰も引き受けて交渉しようとしない。しびれを切らした久布白が、「皆さん誰もやろうという人がいませんが、私が値引きの交渉を引き受けて、出来るか出来ないかやってみましょう」と申し出たら、理事が皆ほっとした表情となり、駒形理事長から「君がやってくれるか頼む」と発言があり、理事会は終わった。
 JRR-1の値引きの経緯もあったので*6、まず日立と交渉した。「予算2/3に削減要求」に驚くも、最後は「外ならぬあなた(久布白)の申し出ですから受けます」となったという。久布白は業者の赤字処理方法の裏側まで知っていたので、強気の交渉に出られたのであろう*1。この調子で、「最大手の日立製作所が了承してくれたから、御社も値引きに応じてほしい」と話を進めて、事なきを得た。
(2)JPDR
 まず、当時の発電原子炉が製作可能な米国のGE(ゼネラルエレクトリック)とWH(ウエスティングハウス)の仕様や参考見積もりを取ることから始まった。原研内部でどちらを選ぶかが先決問題であったが、政治的な絡みもあったせいか*4、"小田原評定"が続いたらしい。結局、ここでも久布白が"原研内での決め方は、値段、性能、技術を含めて必要項目を研究者に出してもらい、その項目を理事会で決定して、項目別に比重があってもよいが、理事者が個々別々に採点してその合計点の優位のものを採用することにしよう"と申し出たら、理事会でそのまま決定された。当時の嵯峨根担当理事をはじめ、研究者出身の理事が揃っていたはずだから、この程度の解決策であれば、すぐに提案されてもおかしくないと思うのだが、それぞれの理事が利権等に絡め取られていたか、或いは徹頭徹尾無関心、無責任だったのではないか? 
 JPDRについては、大筋が決まる前に嵯峨根担当理事の外遊が決まったので、業者の選定、技術交渉、建設、試運転までを久布白の責任で完了したらしい。思うに、このJPDRでの仕事が、以前紹介した全貌という雑誌の中の「原研理事者のエンマ帖」の良からぬ噂のある人というまとめに繋がったと思われる*7-9。
"久布白理事については、
「あの人はとかく問題のある人でねえ、しかし、もうやめる肚でしょうから」
と古いスキャンダルめいた話をはじめて、途中で口をつぐんだ。"

 回顧録はどうしても「人、皆飾って言う」状態に陥りがちである。再度述べておくが、久布白の記事ではそこまで誇張は感じられない。ある意味、予算のまとめの時の大鉈振いや、総務・労務の面での口出しが適切であった分、逆恨みを買ったのではないだろうか?
(3)JMTR
 この炉については、最初から関わったこともあり、途中で予算額の調整を行えただけでなく、業者との調整もできたので、無事に終えたようだ。多少、業者間の談合や情報漏洩にも言及してはいるものの、当時ならば仕方ない、或いは問題ないレベルだったのだろう*1。
 ここまで、久布白に焦点を当ててきたが、改めて本題に立ち返ってみたい。もしこの人が理事でなければ、どうなっていただろうか? 間違いなく、原研の実務におけるグダグダさ加減がもっと早く露呈したであろう。ただ、その分、却って改革が先行したかもしれない。また、久布白にもう少し権限が与えられ、もっと昇進していたら、どうだっただろうか? 私は案外、当初の特殊法人設立の理念に近い形で、産官学の協力の元、原子力が発展したのではないかと考える。しかし、その後の赤い原研に対抗できたかどうかは疑問が残る。

*1 温故知新-37-原子力研究所時代の"裏話" 、久布白 兼致、日本原子力学会誌、34巻、第6号、1992年6月
*2 贖罪のようなものか?
*3 国一燃料破損処分事件とは何だったのか? (1)共有されなかった研究結果
*4 橋本清之助、またの名を陰の原子力委員長~(1)ジイサンと呼ばれた男~
*5 何故、原子力の研究機関は統廃合されたか? (番外編)原子力の日に想う
*6 もしこの人でなかったら2~久布白兼致(2)~
*7 もしこの人でなかったら2~久布白兼致(1)~
*8 何故、原子力の研究機関は統廃合されたのか?(3)赤い原研(その2)~昔、全貌という雑誌があった~
*9 全貌、全貌社、昭和39年4月号、20ページ
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# by ferreira_c | 2016-11-03 14:21 | 原子力 | Trackback | Comments(0)

もしこの人でなかったら2~久布白兼致(2)JRR-1~

 さて、久布白兼致(くぶしろかねよし)である。前にも書いたように、個人に関連する資料は少ない。分かっていることは、財界の後押しで原研入りしたことと、電力国管化*1,2の結果として発足した日本発送電に在籍し、戦時中は全国の火力発電所の補修と改良を担当し、終戦直前に資材課長となったことくらいである*3。
 日本原子力研究所(原研)に入ってからは、建設を担当する理事であった。大きな建設物として、1号炉(WBR、JRR-1)、2号炉(CP-5、JRR-2)*4、3号炉(国産1号炉、JRR-3)*5、動力試験炉(JPDR)*6,7、及び材料試験炉(JMTR)を担当した*1。
 JRR-1は炉本体と液体燃料は輸入品であり、日本側の担当はメーカーの設計図を元にして、炉の下部の部屋(Sub Pile Room)と建屋を作る計画であった。具体的には、図面から必要な材料を拾い、積算して予算を組み、その積算結果を製造物として国内業者に発注する手筈であった。数人の研究者が議論していたところにたまたま立ち会った久布白はどのくらいの予算になるか聞いてみたと言う。その返事は「総重量○○トン、単価は当時の製造物の最高○○円」と得々として知らせてくれた。久布白は黙っていれば良いものをついつい「君らは最高の予算を出したつもりだろうが、二流の業者ならいざ知らず、一流の業者に出すとおそらく2倍の見積もりになるよ」と言ったが、皆きょとんとした顔で久布白を見たので、それ以上は言わずに離れたという。久布白の発言の裏付けは下記のとおりであった。
"当時(昭和30年代初頭)日本中は大増設の最中で、どの大手業者も大物の製品を腹一杯受注していて、忙しい最中にこんな作ったこともない変なものを、満腹状態の工場の大物中にはさんで作らせることは、納期の制限でもなければ別として、研究所の要求する期限内に作らせるとすれば、大物の受註品に大きな悪影響を及ぼすことは必至である。本流の妨げにもなるので、その損失は大きく、倍もらっても工場としては採算上不得策であることなど、研究者にはわからないらしい。"
 とは言え、そう大きいものでもなかったから、何とかなるだろうと考えて、敢えて予算増額を勧めなかったが、2か月後に届いた見積もりの最低額は日立製作所のもので、予算の2倍であったそうだ。今更予算増額も言い出せず、担当理事に相談してもどう処置するか決心してくれないことに困った研究者は、結局、「久布白さんは業者に詳しいようですから何とかして戴けませんか」と頼みに来たと言う。久布白の担当外であったが、最初の炉でつまずいてはまずいと思い、日立の営業担当理事と直接値引き交渉に当たった。値引きを半分と言ったら、日立の理事は目を丸くしつつも、「金額も大きくないので、あなたの言う通り値引きサービスしましょう」となった。久布白は担当の研究者に「やっぱり年寄のいうことはよく聞いておくことだ」注意した。
 これらのやり取りは、現在の公共事業等でもよく有ることではないだろうか? ただ、長期に渡る事業の予算化において、生き物である経済状況をどれだけ反映させるかは非常に難しい問題であるので、せいぜいホールドポイントを決めて、いついつまでにどこまで進んでなかったら計画を見直す、中止する等とした方が良いのだろう。言うは易しであるが。

*1 国管アレルギー他(1) 森一久オーラルヒストリーより
*2 国管アレルギー他(2) 森一久オーラルヒストリーより
*3 温故知新-37-原子力研究所時代の"裏話" 、久布白 兼致、日本原子力学会誌、34巻、第6号、1992年6月
*4 贖罪のようなものか?
*5 国一燃料破損処分事件とは何だったのか? (1)共有されなかった研究結果
*6 橋本清之助、またの名を陰の原子力委員長~(1)ジイサンと呼ばれた男~
*7 何故、原子力の研究機関は統廃合されたか? (番外編)原子力の日に想う
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# by ferreira_c | 2016-11-03 12:42 | 原子力 | Trackback(1) | Comments(0)


blogに名を借りたほぼ月記。軍学者兵頭二十八に私淑するエンジニア。さる業界所属ゆえにフェレイラと名乗る。
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