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何故、原子力の研究機関は統廃合されたか? (2)不吉な前兆

 日本原子力研究所(原研)は昭和31年6月15日に創立された。既に東京大学に設置されていた原子核研究所*1が核研(かくけん)と呼ばれていたのと区別するために、原研(げんけん)ではなく力研(りょくけん)と呼ばれていた*2。原研は国立の研究所ではなく、新たに制定された特殊法人日本原子力研究所法に準拠していた。初代理事長の回顧録によれば、(1)創立当初より研究の実績を大いに上げるために有能な研究者を集めたい、(2)そのためには待遇も良くしなければならない、(3)しかし国立研究所では融通がきかないということで、全額の半分を超えぬ程度を民間からの出資と過半出資を政府にあおぐ、いわゆる特殊法人としたらしい*3。しかし、現実にはなかなか厳しかった。
 そもそも、原研の位置づけ自体、行政と研究者たちとの間に齟齬があったことは否めない。当時の第一期生は、
「熱中性子炉(いわゆる原発)は40歳代の人がやればよい、高速中性子炉(もんじゅ等の増殖炉)は30歳代の仕事で、われわれ20歳代は核融合の勉強をしよう」
と言って教科書を輪講していたそうだ。そんな第一期生たちも、原研の使命は
「世界からはるかに遅れている日本の原子力技術を向上させるため、ひたすら外国の技術を学ぶ或いは真似ることである」
ことをそれぞれの職場で気づかされた*4。実際、原研は第一義的には米国からの濃縮ウラン及び実験用原子炉の受け入れ主体として設立され、研究開発機関としての位置づけは最初から二義的であったという*5。しかも、最初はイギリスから原子炉(ガス冷却炉)を輸入した上で、その運転管理も任せる予定だった。さすがに、原子炉(商業炉)の運転管理と研究開発を並行して行うことは難しいという結論に達し*6、原研では当時将来性が評価されていた軽水炉の小型動力試験炉を導入することになった。この試験炉は後のJPDR(Japan Power Demonstration Reactor)である。原子炉の輸入、別の民間会社で運営管理という方針が決定されてから3ヶ月後、初代理事長の安川第五郎が新たな民間会社(日本原子力発電、昭和32年11月1日発足)の社長に横滑りしたため、昭和32年10月8日付けで駒形作次が第2代理事長に就任した。
 駒形理事長が昭和34年9月22日に退任するまでの期間は、少しずつではあるが研究成果が出始めた時期でもあった。JRR-1(研究用原子炉)が初めて国産アイソトープ(24Na)を生産したり(昭和32年12月7日)、JRR-1(昭和33年7月1日)、コバルト60照射室(昭和34年1月15日)の共同利用が開始されたり、プルトニウムの分離に成功したり(昭和34年8月12日)等である。ただ、不吉な前兆は徐々に現れ始めていた。待遇問題に関わる労働組合と原研当局側との衝突である。
 原研の労働組合(労組)は、財団法人時代(昭和31年6月1日)に設立された*7。設立にあたって、職員組合と名乗るか労働組合と名乗るかを検討した結果、姿勢を示すために労働組合としたそうである*8。設立当初の労組と当局との話し合いのテーマは、東海研への研究者の移転・集結に絡む生活環境の整備(32年)だった*9。一口に生活環境の整備と言っても、地方の寒村を小都市に変えようとするものである。それこそ、住宅、道路、上下水道それから幼稚園まで、いわゆる都市建設の面があった。日本原子力研究所史はこの時期のことを、
「研究所は、経営機能も十分でない状態で、かつて経験したことのない巨大先端技術の研究開発事業に取り組んだ。事業の先駆性がもたらす新たな経営の課題と特殊法人の経営の制約という問題の狭間で、労使関係も不安定な状況にあった。」
と総括している*10。確かにそうであろう。しかし、当初約束されていた給与水準の維持が反故にされる可能性が出てきた時、導火線に火がついた。
 原研設立時には、学界にアンチ原子力の風潮があったので、原研の発足に際し優れた人材が集められるかどうか心配されたそうである。そこで、人集めのために、特殊法人である原研の給料は公務員の3割増しとされた*4。ただ、時が経つに連れて、給与水準の維持がだんだん怪しくなっていき、他にも問題が山積していたので、ストライキを背景に解決を図るという流れになったという*8,12。ストライキをより効果的なものにするために、労組は原研創立3周年記念式典(昭和34年6月15日)をボイコットし、6月17日には原研始まって以来のストライキ(24時間)を実施した*13。もちろん、このような時期に、また晴れの日にわざわざストライキを当てることは、原研当局側にとっても労組側にとってもよくなく、結果として原研の立場を弱くするから、絶対回避しなければならないという意見もあったらしいが結果的に防げなかった*12。
 この後、駒形理事長は責任を取る形で辞任し(昭和34年9月22日)、いわゆる「赤い」原研の労使問題は混迷を極めることになる。この項の最後は、当時の西堀栄三郎理事によって原研新聞に投稿された記事を引用することで終わりたい。理事のやるせなさが切々と伝わってくる文章である*14。

「松風に寄せて」 西堀栄三郎(原研新聞、 No.14、 昭和34年10月27日)
 はじめてこの研究所にやってきたものは誰しも強い印象を受ける。松林の緑、研究室の赤レンガ色、紫色の空、そしてさわやかな松風が肌に触れるとき、この東海研究所をほんとによい職場にしようと考えなかった者はないと思う。この燃えるような情熱もやがて、その人その人の考え方の相違から、とんだ方向にそれて、幻滅からくる憤りに変わり、重苦しさに押しつぶされようとする。そのとき、「松風」がこの重苦しい心をさっと吹き抜けて、はっと我に帰る。そして自分が、とんだ方向に来てしまったことに気がついて再び正しい方向に勇んで戻り、人生の真の喜びを味わうことになればうれしい。
 先ごろ辞任された三人の幹部*は、なんと言っても確かに皆よくやられた。何も無いただの松林から、今日この状態にまで仕上げるには、全所員の努力はもちろんだが、この三人の力は大きかった。今その三人はどんな心境だろうか。
 駒形前理事長が去られるのに臨んで言われた「お互いの足を引っ張るということなく」という言葉は、私たちも肝に銘じておかねばならないと思う。げに「人をうらやむ」ということは人間最大の悪徳となりうるものである。日本人は少し他の人のことを気にしすぎるようだ。そして自分だけよい子になろうとする。
 嵯峨根副理事長は「自分は二塁打を打ったつもりでいたら、グラウンド・ルールが違っていたとみえて、アウトになってしまった」といってお別れの言葉とされた。一体、誰がそんなグラウンド・ルールを決めたのだ。誰がアンパイヤーなのだ。もうあんなに、一人でテキパキやれる人は得られないと思う。これからは、皆で協力してゆくより他はない。皆で肩を組んで互いに進むべき方向を示しあって、よりよい職場にしてゆこうではないか。
*昭和34年9月22日付で退任した駒形作次理事長、嵯峨根遼吉副理事長及び柴沼直理事をさす。


*1 日本の原子核素粒子研究の礎
[URL]http://www.kek.jp/newskek/2005/mayjun/INSmemorial.html
*2 原研一期生50周年記念文集、原研一期生同期会、p.40(2007年9月)
[URL]http://park17.wakwak.com/~tokai/PCC/pdf/KinenBunsyu.pdf
*3 日本原子力研究所史、日本原子力研究所、II(2005年3月)
*4 原子核科学の半世紀 -廃虚の日本から繁栄の日まで-、中井浩二、p.28(1999年2月)
[URL]http://www.geocities.jp/viva_ars/bunko/nakai/Nusc-1.pdf
*5 日本の原子力政治過程(2)、本田宏、北大法学論集、54(2),254,(2003)
[URL]
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/15206/1/54%282%29_p262-205.pdf
*6 文献3のp.502、原子力委員会、発電炉はコールダーホール改良型とし、民間で実施することを決定(昭和32年7月19日)
*7 文献3のp.492
*8 文献2のp.16
*9 文献3のp.11
*10 文献3のp.492
*11 文献3のp.22
*12 文献2のp.37
*13 文献3のp.8
*14 文献3のp.500
追記*8
 第一回のストライキ後に当局側が全面的に要求を呑むということになり、それから要求を文書化した。暖房設備の能力とか、食事の量質も文書化した。特に質の文書化には苦労したようである。「常食に耐える風味を有すること」などと表現したらしい。
追追記
 原研設立時には言いがたい大変さがあったのは、資料を少し読んだだけでも理解できる。しかし、それをマネージメントできる人は日本にはいなかったのか?
 例えば理研を確固たるものに仕上げた大河内正敏等ではどうだったろうか? 今となってもどうしようもないことではあるが・・・
by ferreira_c | 2011-03-09 20:54 | 原子力 | Comments(0)
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blogに名を借りたほぼ月記。軍学者兵頭二十八に私淑するエンジニア。さる業界所属ゆえにフェレイラと名乗る。

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