以前のブログで触れたように、今や祝われざる記念日の一つである原子力の日は、日本で始めて原子力で発生した電気を送電した記念日である(1963.10.26)。
しかし、その3日後に、原研の労使間に重大な問題が在ることが誰の目にもはっきりしたことで*1、国会で取り上げられることとなった。翌年の4/9に開かれた衆議院科学技術特別委員会の原子力政策小委員会にて、原研問題を中心とする原子力政策について、
「原子力委員会の指導力と企画力を強化し、原研は開発研究に重点を置き、また基礎研究にも十分配慮すべきである」
との結論が出た。
その後、6/1付けをもって、労使関係をコントロールできなかった責任を取る形で、菊池正士原研理事長は辞任し、同日、丹羽周夫三菱造船会長が就任した*2。実は、この辞任劇にはタイムラグがある。菊池理事長はそのおよそ3ヶ月余前の2/21に、後の首相である佐藤栄作原子力委員会委員長(科学技術庁長官)に、久布白理事と菅田理事と共に辞表を提出しているのだ*3。他の2名の辞表は受理されたものの、菊池理事長は、実態はどうあれ6/1まで職におり、同年3月、4月の国会にも証人として呼ばれるという何とも宙ぶらりんな3ヶ月を送った*4,5。
ここまではネット等で散見される、所謂公式の記録であるが、辞任に至るまではもっと複雑であったらしい。そもそもは、2/3に菊池理事長が佐藤長官に呼び出され、前年の原研東海研のスト騒ぎに関連する責任問題を理由に、久布白、菅田両理事の辞表を提出するように申し渡されることから始まるのだ。その直後、菊池理事長が行方不明になった3時間の間に為された謀議によって、原子力業界に激震が走ることとなった*6。
*1
何故、原子力の研究機関は統廃合されたか? (番外編)原子力の日に想う*2
原子力委員会月報、科学技術庁原子力局、第9巻第6号(1964)、「丹羽周夫氏日本原子力研究所理事長に就任」[URL] http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/ugoki/geppou/V09/N06/196411V09N06.HTML
*3
原子力資料集 原子力年表1960年代(1960年~1969年)1964年(昭和39年)[URL] http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=17-01-03-05
*4
第046回国会 科学技術振興対策特別委員会 第3号議事録 昭和39年2月21日(金曜日)[URL] http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/046/0068/04602210068003a.html
*5
第046回国会 科学技術振興対策特別委員会 第9号議事録 昭和39年3月12日(木曜日)[URL] http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0068/04603120068009a.html
*6 全貌、全貌社、昭和39年5月号、62ページ