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負ケラレマセン勝ツマデハ



TDKと原子力にまつわるエトセトラ

 標題だけだとピンとくる人は少ないかもしれない。311以降に出版されたいくつかの書籍には、東京電気化学工業(TDK)の創設者であり、改進党議員であった斎藤憲三が、1954年4月に成立した"原子力予算(原子炉建造のための研究・調査費として2億3500万円)"*1に尽力したことが記載されている程度である*2,3。しかし、311に遡ること6年前に出版された書籍に、TDKと推定される会社と原子力にまつわる話が紹介されていた*4。
 さて、その書籍だが一言で言えば奇書であろう。著者は悪名高き動力炉・核燃料開発事業団(動燃)においてプルトニウム燃料製造開発に携わっていた。書籍の副題には、「プルトニウムとともに生きた男の戦いと挫折」とあるが、堅い話ばかりではなく、自らの青春生活、日本の会社組織の中の人間関係の苦悩、及びプルトニウムに関わる仕事について、ユーモアとペーソスをもってまとめたものである。
 時は1975年、著者が動燃東海事業所のプルトニウム燃料第三開発室の建設を担当するグループに居た時に、燃料製造工程の自動化機器を設計、製作する企業として、KYTの全面的な協力を得ることとなった。このKYTの説明として、フェライト、カセットテープ等の製造、世界的に知られた優良会社、秋田、長野県佐久、静岡の工場と書かれている。これはどう考えてもTDK以外にあり得ないだろう。著者はTDKと推定した読者のために、原子力との関わりについて簡単な説明を試みている。

“それにしても、原子力とKYTは何の関係があるのかと、奇異に感じる人がいるかもしれない。
 しかし同じセラミック産業として、高放射性のプルトニウムを大量に取り扱うために、製造工程を遠隔化、自動化しなければならない動燃と、経済性向上のために自動化を進めるKYTは、基本的に方針が一致していた。原子力に関係ない産業界からも優秀な民間技術を導入し、プルトニウムに関連する特殊技術を動燃が補完するという方式は、このあと長く続いて成果を上げるのである。”


 この著者の仕事ぶりこそが動燃が理想とした形態ではなかったのだろうか? しかしながら、このような幸せな関係は他ではあまり見られなかった可能性がある。いつか詳しく触れたいと思っているが、ウラン濃縮に関する技術を動燃から日本原燃に技術移転を行う時に、動燃が保有する関連特許を調べたところ、殆ど無かったそうだ。多分、動燃が委託したメーカーや大学が動燃の資金で得た研究成果を特許の形で保有していたのだろう。当時揶揄されていた「政府潤沢な資金を民間のメーカーに流すためのトンネル会社としての動燃」が実態だったのかもしれない。
 さて、KYTと動燃の関係であるが、最初の仕事から8年後の社長交代を機に、リスクのある原子力関連業務からさっさと手を引いてしまったと言う。WikipediaでTDKの社長交代を確認したところ、第3代社長が素野福次郎(1969-1983)、第4代社長が大歳寛(1983-1987)となっていた*6。TDKの公式ウェブサイトを見ても、プルトニウムの“プ”の字も見当たらないが*7、TDKが動燃と深く関わっていたことはほぼ事実であろう。

*1 ウラン235に引っ掛けた金額と言われている。
*2 原発と権力、山岡淳一郎、筑摩書房、2011、p.48
*3 原発メルトダウンへの道、NHK ETV特集取材班、新潮社、2013、p.54
*4 プル子よ さらば、山中与三郎、牧歌舎(星雲社)、2010、p.216(原著は2005年に星雲社から出版されている)
*5 *4のp.258
*6 TDK[ウィキペディアより]
[url] http://ja.wikipedia.org/wiki/TDK
*7 TDK[公式webサイトより]
[url] http://www.tdk.co.jp/index2.htm
by ferreira_c | 2014-03-28 17:58 | 原子力 | Comments(0)
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blogに名を借りたほぼ月記。軍学者兵頭二十八に私淑するエンジニア。さる業界所属ゆえにフェレイラと名乗る。

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