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国一燃料破損処分事件とは何だったのか? (1)共有されなかった研究結果

 もはや、"国一"と言っても、原子力業界内でさえ意味のわかる者は殆どいないだろう。"国一"とは国産一号炉を指しており、具体的には日本原子力研究開発機構(旧日本原子力研究所、原研)が所有している研究用原子炉JRR-3(Japan Research Reactor No.3)を指す*1。ここで、簡単に一号炉とNo.3の番号の齟齬について述べておく。JRR-1とJRR-2というのは既に廃炉になっている。どちらもアメリカから購入した研究炉であった。JRR-1は、昭和31(1956)年にアメリカから購入したウォーター・ボイラー型で、昭和32(1957)年8月27日に臨界に達した。JRR-2(CP-5型)は、同じくアメリカから購入した出力1万キロワットの大型研究炉であり、昭和35(1960)年10月に臨界に達した。その後、原研の衰退の主要要因となった労使間の紛争などによって運転スケジュールは遅れてしまい、本格的運転が始まったのは昭和38(1963)年秋であった*2。なお、以前の記事で述べたとおり、このJRR-2は最初からいろいろといわくつきの原子炉であった*3-5。
 さて、"国一"である。昭和31(1956)年7月27日に国産原子炉製作が決定され、昭和37(1962)年9月12日に臨界に達した。その後、運転を重ねていき、昭和42(1967)年4月6日からは国産燃料の使用が開始された*6。本記事のタイトルである"国一燃料"とは、この国産燃料(日立製作所+住友軽金属グループ、古河電工の2グループが製作)のことを指す。JRR-3では、1968年4月に1本の燃料破損が発生して以来、その後10ヶ月にわたって7本の燃料が破損した*7。破損した燃料は全て国産であり、しかも、破損は(日立+住友)製のみに起こり、古河電工製は健全であった。これらの顛末が、原研労働組合(原研労組)の職場新聞「原子炉3」(1968年11月15日)に掲載されたことから一大騒動が巻き起こり、原研側が1969年2月7日付けで記事の執筆に関わった3名の組合員に最高3ヶ月の停職処分を強行するまでに至ってしまう*7。これら一連の組合員処分事件までの経緯は、後で述べることとし、本記事では燃料破損事象に絞って述べてみたい。
 燃料破損については、原研一期生の栗原が文章に残しているので以下に抜粋する*8。

(JRR-3では、国産の)燃料装荷後間もない昭和43年4月から44年1月末までに計7本の燃料破損が起きた。金属ウラン棒の表面のしわ変形がAl(アルミニウム)被覆管を破ったのである。破損は(日立+住友)製に起こり、古河製は健全であった。(日立+住友)グループは当時、JRR-3の手本となったカナダNRX炉から燃料製造の技術を導入して国産化に当たった。(日立+住友)製と古河製との違い前者はβ処理のまま、後者はβ処理後α処理を行っている。β処理は圧延棒の異方性を消去するために不可欠なものであり、その後のα処理はβ焼入れによる歪とりに必要とされていた。カナダの技術はα処理が含まれていなかった。当時カナダの技術報告にはNRX炉燃料破損例を挙げた一編があった。この一編を熟読しておけばという悔いは今なお残っている。β処理は金属ウランの異方性消去というマクロ的な解決には役立つ。しかし、β処理だけではマクロ的解決のものであり、金属ウラン、α相、斜方晶のもつ本性、ミクロ的異方性は厳然として維持されているのである。この点に気づいたのは破損報告後であった。
~中略~
国産化燃料の破損は関与した1人として責任を免れるものでないが、もし、原電1号炉と同じように健全であったならば、JRR-3の歴史の一端は変えられたと、残念である。


 確かに、事前に日立、住友に情報が入っていれば歴史は変えられたのかもしれない。では、本当に日立は事前に情報を得る機会が皆無であったのか? 実はそうではない可能性がある。JRR-3燃料国産化に向けて、原子力委員会核燃料専門部会は、燃料加工方式に関して原研に検討させていた*9。原研では昭和37(1962)年の段階で、燃料棒の熱処理について上の栗原が記したような事を報告書として原子力委員会に提出していた*9。

天然ウラン棒仕様としては、有害な異方性をなくすために熱間圧延および熱処理の適当な組み合わせをするよう製造要領が規定されるが、まずβ処理を行なうことは不可欠である。最近のAECL報告によれば、NRX燃料棒にはかっては圧延のまま、すなわちβ処理せずに使用された実績がかなりあるが、もちろん異方性残留による使用時の変形度はかなり認められている。原研での研究の結果では、圧延のままのものはもちろん熱サイクルによりかなりの寸法変化を示すが、単に軸方向の伸長のみならず断面形状が丸棒から角棒の形状に移って行く傾向も見られ、これは明らかに圧延工程中に棒をパスごとに90°ずつ回転することにより断面内に一種の不規則性が残留し、その原因になっているものと思われる。
 β処理の必要性については問題はないが、それに続きα焼鈍を行なうべきか否かの点は論議のあるところである。初期装荷燃料にはカナダAMF社ではこれを全く行なわず、またいわゆる脱ガス処理も施していない。
 原研での研究結果では、既述のごとくβ処理が急冷を伴う場合にはその後にα焼鈍を行なう方がよいことを見出しており、結晶粒度そのものに対する直接的好影響はなくとも粒形状の均一化、残留応力の除去の点では好結果を及ぼすことが明らかであるから、採用する方がよりよいといえる。


 この状況はどういうわけなのだろうか? 素直に考えれば、日立、住友は「カナダの燃料製造技術を導入したので全然問題なし」という以前の記事でも述べた日本式技術導入路線を取ったことで安心してしまいそれ以上の調査をしなかったのに対して、古河電工側は上記の原子力委員会核燃料専門部会報告書を読んだ上で、燃料製造設備にα焼鈍プロセスを追加したのではないだろうか? 残念ながら、原研労組や組合員だった人物が書いた文章にはそこまで踏み込んでいないので、今となっては「なぜ古河電工製の燃料が破損しなかったか」については、単なる憶測の域を越えない理由しか述べられない。本当はもっと技術的に深めておくべきであったし、国策としての原子力における情報共有、情報伝達のあり方についてもしっかりと議論しておくべきであったろう。この情報共有という点がしっかりなされておけば、原子力船「むつ」のグダグダも少しだけマシになっていたかもしれないというのは言い過ぎであろうか?

*1 第1回原子力歴史構築賞、日本原子力学会、2008
[URL]http://www.aesj.or.jp/awards/2008/2008-033-034.pdf
*2 ジャーナリストの証言、原子力ジャーナリストの会、電力新報社、1981、p.42
*3 わが職業は死の灰の運び屋、佐久間稔、創隆社、1986、p.44
*4 ガラスの檻の中で、鎌田慧、国際商業出版、1977、p.237
*5 原子力開発10年史、日本原子力産業会議、1965、p.204
*6 JRR-3のあゆみ(沿革)
[URL]http://jrr3.jaea.go.jp/1/12.htm
*7 JCO燃料加工施設臨界事故からなにを汲み取るか、日本原子力研究所労働組合、2000年、p.37
*8 原研一期生50周年記念文集、原研一期生同期会、2007、p.14
[URL]http://park17.wakwak.com/~tokai/PCC/pdf/KinenBunsyu.pdf
*9 昭和37年原子力委員会月報第7巻第6号
[URL]http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/ugoki/geppou/V07/N06/19620603V07N06.html
by ferreira_c | 2014-08-01 19:26 | 原子力 | Comments(0)
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blogに名を借りたほぼ月記。軍学者兵頭二十八に私淑するエンジニア。さる業界所属ゆえにフェレイラと名乗る。

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