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もしこの人でなかったら3~鈴木義孝、深谷茂、石田仁~ 、あるいは語り継がれるべき真の独断専行


 福島第一原子力発電所事故や原子力発電をテーマとした朝日新聞の連載記事「プロメテウスの罠」は2011年10月から2016年3月まで続いた。朝日新聞的な「角度をつけた」記事については連載当初から様々な反響があった。しかしながら、2014年5月20日に掲載した「所長命令に違反 原発撤退」の見出しの「吉田調書」がきっかけとなり、最終的に当時の朝日新聞社長が9月11日の吉田調書公開日の記者会見で記事を取り消したことで、「プロメテウスの罠」の信頼性もかなり揺らいだのではないだろうか*1,2。そうは言っても、吉田調書に関わった宮崎記者が書いた「吹き流しの町」については、これからも永く語り継がれるべきだと思う*3。
 舞台は福島第一原発から45キロ西に位置する「滝桜」で有名な福島県三春町。物語は2011年3月12日に大熊町と富岡町の避難民約2,000人を受け入れたことから始まる。避難民の中に大熊町農業委員会事務局長の石田仁が居た。石田は農業委員会の前は生活環境課に20年以上在籍し、防災訓練等に関わってきた。石田は原発立地自治体の行政マンが知っておくべき原発、放射能の知識は全て身につけていた*4。

<以下引用>
 たとえば、原発が電源を失い、原子炉を冷やす手段を喪失した場合の手順。
 ベントをして、炉の圧力を下げ、水を注ぎ込み、炉心を冷やす。
 ベントをすると放射能が外部に放出されるので、住民は屋内退避や避難が必要になる。
 このようなことも、(石田は)福島事故前から知っていた。」
 ~中略~
 (3月)12日未明にベントをやるというので固唾をのんで待ったが、音沙汰なしになった。そして午後3時36分、突然1号機が松林の向こうで爆発した。石田は5キロ先にそれを見て、最後に大熊町から逃げて来た。
 原発爆発という前代未聞の事が起きた。にもかかわらず政府は、放射能のデータをほとんど説明しないで「ただちに影響はない」という。
 石田は「政府は情報を隠し始めていると(深谷茂三春町副町長に)いった。
<引用終わり>

 石田は三春町に着いた後、13日朝に机と電話とパソコンを借り、原発事故のデータを集め始めた。
 一方、同日に三春町の保健師が富岡町民避難所で「ヨウ化カリウム丸」(安定ヨウ素剤)の飲み方を尋ねられ、三春町として初めてその存在を知ったという(原発立地地域の大熊町、富岡町では防災教育で常識)。それから三春町の町民の安全確保のための試行錯誤が始まった。

<以下引用*5>
 のどにある甲状腺は、ヨウ素を取り込みやすい。
 原発事故が起きると、大気中に放射性ヨウ素が放出される。それを吸い込むと申状腺に取り込まれる。そこで放射線を出し、甲状腺がんを引き起こす原因になる。
 旧ソ連のチェルノブイリ原発事故のとき、子どもを中心に甲状腺がん患者が出た。
<引用終わり>

 安定ヨウ素剤の効き目は約24時間、ちょうど放射性ヨウ素が滞留している時間帯に飲まねば意味が無い、県の防災計画は以下のようになっていた*6。

<以下引用>
「県は国から予防で飲むタイミングの指示があった場合、または知事の判断で服用を指示する」
<引用終わり>

 しかしながら、最後まで県や国から指示が出ることはなかった。以下の記述を見ると、深谷副町長は、ある時点で町独自の判断で服用指示しなければいけないと思ったのかもしれない*7。

<以下引用>
深谷は、最も判断がむずかしいのは服用のタイミングとみた。大熊町の石田仁に尋ねた。
 安定ヨウ素剤は国の指示や県知事の判断で飲ませることになっている。石田はそれをふまえたうえで、次の三つが検討材料になるといった。
 一、原発の爆発
 一、そのときの風向き
 一、降雨があるか
 石田は国の放射能拡散予測SPEEDIが参考になるという。しかし、国がそれを出してこない。
<引用終わり>

 この時、石田は既にノルウェーとオーストリアの気象研究機関がつくった放射能の拡散予測図をインターネットを通じて入手していた。そこからおおよその風向きと気象予報、三春町と福島第一原発との距離から3/15が要警戒であることを導いていた。早速、手製の吹き流しで風向きを判断することとした。
 それと平行して、安定ヨウ素剤の副作用や乳幼児への飲ませ方も検討していた。まず、チェルノブイリ事故の時に国民に服用させたポーランドで重篤な副作用が見られなかったことを確認した。乳幼児への飲ませ方マニュアルはとても緊急時に対応できるものでなかったが、臨機応変に対応したようだ*8。
 それでも最後の最後まで、
一、副作用が出た場合の責任。
一、飲ませないで、将来、甲状腺がん患者が出たときの責任。
を巡って決断しかねたらしい。そこで深谷副町長は3/14の22:00に課長会議を開き、服用することとした*9。
 分かりやすくするために、最後に時系列を示しておく。安定ヨウ素剤の存在すら知らなかった三春町が、適切なタイミングで服用した。しかも、福島県では唯一の自治体であった。服用当日の夕方に県庁から町役場に、「誰の指示で配っているんだ。すぐに回収しろ」と命令口調の電話が入ったらしい。3/21には全国紙にも批判されたという*10。いわく、「混乱の配布、誤った服用指示も」「専門家『現段階では不要』『早すぎる服用、無意味』と。それでも町役場としては義務を果たしたという自負があった。鈴木町長の言葉は重い*10。
「大きな災害は初動が大事。県や国からの指示は待っていられない。それが現場だ。今回もいつも通り、町の状況判断で行動した」
 まさに真の独断専行の鑑であった。独断専行とは本来、事態が急変する戦場で、上官の命令や指示を待っていたのでは対応がおくれてしまうので、現場で自主的に判断して行動する、という意味であった。この三春町の真の独断専行は永く語り継がれるべき物語である。それも三春町の鈴木義孝町長、深谷茂副町長、大熊町の石田仁農業委員会事務局長、誰か一人が欠けても成立しなかった物語に違いない。

【時系列】
3/12 15:36 未明にベントをやるという情報流れるも実施されず。1号機爆発。
3/12 深夜 原子力安全委員会は政府原子力災害対策本部事務局医療班との間で安定ヨウ素剤の服用基準、手順を確認。
3/13 10:40 原子力安全委員会が政府原子力災害対策本部に以下の内容をファックス送信。
「毎分1万カウント(の放射能を測定した人)を基準に(放射能を測定した人の)除染と(福島県知事に)安定ヨウ素剤の服用を実施するよう指示せよ」
 しかしながら現地対策本部、福島県に通達されず。県は現地対策本部が立ち上がっていたので終始指示待ち態勢を維持、結果的に県単位での服用指示できず。
3/14 11:01 3号機爆発
3/14 午後 三春町から往復で2時間近くかかる自治会館まで安定ヨウ素剤を町民の人数分取りに行く。
3/14 22:00 三春町課長会議で、三春町民に配布、服用指示を決定。
3/15 8:00過ぎ 深谷副町長、インターネットニュースで、茨城県東海村で通常の約100倍の放射線量が観測されたことを知る。
3/15 9:00過ぎ 吹き流しで風向きが東であることを確認。深谷副町長は鈴木義孝町長に服用の決裁を求め、裁可された。
3/15 13:00 40歳未満の三春町民(おそらく避難してきた大熊、富岡町民も)、安定ヨウ素剤服用。

*1 「福島原発事吉田調書」報道に関する見解、朝日新聞社報道と人権委員会、2014/11/12
[url] http://www.asahi.com/shimbun/3rd/prc20141112.pdf
*2 吉田調書記事の署名は木村英昭、宮崎知己。「東京電力テレビ会議記録の公開キャンペーン報道」で第13回早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞していた*a。吉田調書記事がきっかけで2名は減給処分となった。その後、木村氏は朝日新聞を退社し、2017年2月1日に早稲田大学ジャーナリズム研究所のプロジェクトとして発足したワセダクロニクル*e(現Tansa)の立ち上げメンバーとなった(編集幹事)。2018年3月には「(吉田調書)記事取り消しを取り消させる」目的で朝日新聞を提訴したが、2020年3月23日東京地裁訴えを棄却された*b。その後、性暴力スキャンダルを引き起こしたフォトジャーナリスト広河隆一氏が関連する日本フォトジャーナリズム協会の理事に就任していたことを理由にワセダクロニクルを退会した*c。
 一方、宮崎氏は2016年3月末に朝日新聞を退社し、月刊情報誌「FACTA」に転職、現在は編集長を務めている*d。木村氏の裁判では陳述書を提出した。
 なお、この記事を書いたのは何かとTwitterの書き込みが話題になっている鮫島浩記者だったらしい。
[url_a] http://spork.jp/?p=4628
[url_b] https://tansajp.org/columnists/6025/
「東京地裁が認めた「新聞記者は会社員」(13)」
[url_c] https://www.wasedachronicle.org/information/c20200501/[リンク切れ]
[url_d] http://www.elneos.co.jp/1606sc1.html[リンク切れ]
[url_e] https://tansajp.org/information/8068/
*3 プロメテウスの罠3-福島原発事故、新たなる真実-、第十四章吹き流しの町(宮崎知己)、朝日新聞特別報道部、pp.67-108、学研パブリッシング、2013/2/12
*4 *3のp.74より引用。
*5 *3のp.76より引用。
*6 *3のp.90より引用。
*7 *3のp.78より引用。
*8 *3のp.103より引用。元々は国のマニュアルは以下のとおり。
「6歳以下には安定ヨウ素剤の粉末を、滅菌蒸留水か精製水か注射用水で溶かし、適量のシロップを加えて、正確な服用量を飲ませるのが適当」
地震のあとの混乱では無理なので母親たちは以下のように工夫したらしい。
「丸薬を砕いたものを受け取ると、子どもがお気に入りのスポーツ飲料やジャムなどに混ぜて与えた」
*9 *3のp.85より引用。
*10 *3のp.107より引用。

by ferreira_c | 2020-05-30 09:55 | 原子力 | Comments(0)
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blogに名を借りたほぼ月記。軍学者兵頭二十八に私淑するエンジニア。さる業界所属ゆえにフェレイラと名乗る。

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